トップページ > みる

高松公園(高松の池)

 藩政時代、治水を目的に三段の堤防が造られ、そのうち最も大きかった中堤が現在の高松の池となります。松林が美しく有名であったことから「高松の池」と名付けられたと言われています。明治39年に池の周囲に吉野桜1000本が植樹され、盛岡を代表する桜の名所の一つとなり、平成元年に「日本さくらの名所100選」に選ばれています。池の周囲には散策道があり、バードウオッチングにも最適です。

米内浄水場のシダレザクラ

 米内浄水場は、昭和9年に創設され、桜の開花の時期(例年4月下旬〜5月上旬)にあわせて、一般公開されます。ここのヤエベニシダレザクラは、場内に約30本あり、盛岡で最も遅い時期に開花します。古いものでは推定樹齢90年になる木もあります。

上の橋擬宝珠

 本町エリアと上ノ橋エリアをつなぐ上の橋は、中津川とともに城下町・盛岡らしい風景です。南部藩主の南部利直が盛岡城を築くと同時に架けた橋です。欄干を飾る青銅製の擬宝珠は創設時のもので、今日まで大切に受け継がれています。18基の擬宝珠のうち、慶長14年の銘が刻まれたものが8基、慶長16年のものが10基あり、国指定重要美術品に認定されています。

盛岡信用金庫本店

 盛岡出身の葛西萬司が設計し、昭和2年に盛岡貯蓄銀行の店舗として建てられ、昭和33年に盛岡信用金庫が譲り受けました。新古典様式でありながら近代的なデザインを取り入れており、建物の正面に6本の円柱、花崗岩に施した石彫り、内部のステンドグラス、照明器具も見応えがあります。

紺屋町番屋

 紺屋町番屋は、紺屋町を代表する保存建造物です。明治24年に盛岡消防よ組の番屋として建設されました。現在の建物は、大正2年に消防組第四部事務所として改築されたものです。大正期の木造洋風建築の典型で、六角形の望楼が特徴的です。1階は消防器具の収蔵庫や消防車の車庫として使用され、2階の大広間は集会に使われていました。

鬼の手形(三ツ石神社)

 三ツ石神社には、大きな三つの石があり、岩手の県名にも由来する伝説が残っています。昔、羅刹という鬼の悪行に苦しめられていた人々が三ツ石の神に祈願したところ、鬼を退治してくれました。そして、羅刹は2度と悪さをしないと岩に手形を押しました。これが岩手の名の由来となり、その時に人々が踊った踊りが「さんさ踊り」の発祥といわれます。

五百羅漢(報恩寺)

 盛岡五山のひとつである報恩寺。羅漢堂には壁をおおうように羅漢が並んでいます。羅漢堂は、享保16年〜享保19年の間に京都の9人の仏師によって制作されました。最初500体がつくられましたが、現在は499体が現存しています。中にはマルコポーロやフビライとされる像も見られます。

龍谷寺のモリオカシダレ

 境内にあるシダレザクラは、植物学者の三好学が発見した固有種で、国指定天然記念物に指定されています。なお、龍谷寺は、石川啄木の伯父である葛原対月が明治4年〜明治28年の間、住職を務めていました。少年時代の啄木は、しばしば寺を訪れ、対月から詩歌の指導を受けました。

盛岡八幡宮

延宝8年、南部重信により建立。祭神は農業・工業・商業・学問・衣食住など人間生活の根源の神である品陀和気命(第15代応神天皇)で、昔から地域の崇敬を集めています。1月の初詣や裸参り、2月の節分、9月の例大祭や流鏑馬の際には、多くの人が参拝に訪れます。

南昌荘

盛岡出身の実業家・瀬川安五郎が明治18年頃に邸宅として建てたもの。池泉回遊式の庭園も数年かけてつくられました。建物は畳敷きの続き部屋と板張の広間などで構成され、それを板張の廊下が囲んでいます。そこから見る庭は、美しく、四季の風情を感じさせます。盛岡市の保護庭園・保存建造物に指定され、庭園は登録記念物に指定されています。