啄木新婚の家
盛岡市渋民出身の歌人・石川啄木が新婚時代を過ごした家。明治38年、20歳になった啄木は、堀合節子と結婚。妻となった節子のほか、啄木の両親、妹の光子もこの家で暮らしたという。ここで過ごしたのは3週間のみで、その後、加賀野に転居。この家で過ごしたことが「我が四畳半」に記されている。
盛岡市渋民出身の歌人・石川啄木が新婚時代を過ごした家。明治38年、20歳になった啄木は、堀合節子と結婚。妻となった節子のほか、啄木の両親、妹の光子もこの家で暮らしたという。ここで過ごしたのは3週間のみで、その後、加賀野に転居。この家で過ごしたことが「我が四畳半」に記されている。
盛岡藩の「御薬園」だった地にある公民館。国指定重要文化財の「旧中村家住宅」が移築・復元されています。中村家は「糸屋」または「糸治」と呼ばれ、盛岡でも指折りの大きな商家で、呉服・古着などを主に商っていたといわれています。また、公民館の庭は、紅葉の名所としても知られ、秋には観賞する人々で賑わいます。
盛岡城跡公園内にある町なかミュージアム。1階では祭りや観光情報を紹介しており、奥に、高さ9メートルにも及ぶ明治時代の山車を再現したものが展示され、間近で見ることができます。また、2階では城と城下町のなりたちや盛岡藩ゆかりの品々を紹介。盛岡散策前に立ち寄ってから巡ると、盛岡をより深く感じられます。
明治43年(1910)に建てられた旧第九十銀行を保存、活用した施設。設計は盛岡出身の設計技師・横濱勉。ドイツ風ロマネスク方式の流れをくんだ意匠が特徴です。館内には、歌人・石川啄木や童話作家・宮沢賢治が青春時代を過ごした盛岡と、ふたりの足跡を紹介、展示をしています。1階には、喫茶室があり、ゆっくりと過ごすことができます。
盛岡地方裁判所にある「石割桜」。周囲21メートルもある巨大な花崗岩を割って、エドヒガンザクラがたくましく育っています。樹齢約360年以上ともいわれ、春になるとみごとな花を咲かせます。盛岡市民に愛されている桜で、昭和7年(1932)に裁判所が火事にあった際、庭師・藤村治太郎が身を挺して守ったという逸話も残っています。
東京駅を設計した辰野金吾・葛西萬司建築事務所が設計し、明治44年(1911)に建設されました。レンガ造りの2階建で、明治期の銀行建築の姿を残しているといわれます。東京駅の赤煉瓦駅舎を設計した辰野金吾が設計した建築としては、東北地方に唯一残るもので、国の重要文化財に指定されています。
盛岡と遠野・釜石をつなぐ街道の玄関口だった鉈屋町界隈には、いまも明治期に建てられた盛岡町家が建ち並んでいます。その一画にある「もりおか町家物語館」は、盛岡市の保存建造物「浜藤の酒蔵」などを改修してつくられました。当時の暮らしぶりがわかる母屋には、喫茶スペースもあり、鉈屋町散策の途中に立ち寄ってはいかがでしょうか。
昔、北上川の船着場として発展した町で、今も石垣などにその頃の面影が残っています。童話作家・宮沢賢治が出版した『注文の多い料理店』を出版した「光原社」もあり、通りには、賢治や賢治の作品をモチーフにしたモニュメントが設置されています。毎年4月第2土曜から11月最終土曜まで毎週土曜日に「よ市」が開催されます。